40歳過ぎたオジサンが眉毛を描いて気づいたこと

雑記

2024年の初め頃、妻から「眉毛描いたら?」とふいに言われた。妻曰く、「眉毛描いたらもうちょいキリっとして見えるからいいんじゃない?」とのことで、あらためて鏡で自分の顔を見つめてみた。なんかこう、うまく言えないけど、たしかにキリっとはしていない。なんかぼんやりしている。なんかね、ぼんやり。

先祖代々、僕の家系には「髪の毛フサフサ」が1人もいない。

中学生の頃にはそれを存じ上げていたので、「約束されし未来」に抗うべく、極力、パーマかけたり染めたりせず、髪の毛にダメージを蓄積させてこなかったのだが、遺伝子という牢獄から脱出することは叶わなかった。

今は美容師さんのテクニックでうまい感じにしてもらっているものの、いわゆるパッと見は薄毛バレバレで、突風は天敵、少し髪が伸びてしまうと、グッドモーニングの髪セット時にイライラ、髪の毛割れる。

毛量的にトップにボリュームを召喚し過ぎると毛束感と隙間感がすごい、めっちゃ気になる。なので、全体的にペッタンこ、前髪がうまい感じにおさまってくれない、整髪スプレー合計発射時間は必ず10秒は超える、失敗したら洗い流す・・・と、髪の毛との付き合いには、ほんとうに気を使う毎日なのです。

そんな「じつは誰も見てないし、誰も気にしてなんかない、自分の髪の毛」をめっちゃ気にして、休みの日はほぼ帽子確定の40過ぎが、妻に言われて眉毛を描いてみたところ、ぬん? なんか、こう、顔が少しだけキリッとしたような、イケメンイケオジになったという意味ではないけど、なんか「いつもよりは」キリッとしたような… 描いた眉毛を妻に見てもらったところ、爆笑された。とりあえずめっちゃ濃すぎたようで、漫画みたいになっていると言われてしまった。

そこで妻に描き直してもらったところ、さすがに上手で、自分が描いたものとは比べものにならないくらいの完成度、鏡見て、自分の眉毛にうっとり、あぁたしかに、眉毛が整うだけで、だいぶ見え方変わるんだなって、正直感心しました。

偉そうな奴ぶるわけではないけど、40歳くらいになるといろんな失敗を繰り返した結果、悩んで、苦しんだりして、人間の仕組みってこういうものなのか、なんて少し悟りはじめてきて、他人とか家族への感謝を忘れちゃいけないな、なんて思いつつ、でも、心の中にはうまく説明できない心のモヤモヤとか葛藤があったり、40くらいってちょうど人生の折り返しで、いろんなことが見えてくる。

…なんて言うとやっぱりだいぶ偉そうだけど、実際、いろんなことが見えてきたり、感じること、考えることができるようになってくる年頃なんだと思います。そんな頃合いだからか、人生を振り返る時間も多くなってきます。すると、snowmanやBE:FIRSTを見ていると、おしゃれでダンスもうまくて、男だけどすごくキレイにしてるし、清潔感あるし、眉毛キリっとしっかりしてる…と、自分がいま10代だったら、いろいろと気にするのかな? と率直に感じます。いやむしろ、気にしたいよなぁって。清潔感保ちたいよなぁって思います。

オジサンになって眉毛を描いてみて、人生で自分がメイクするとか考えたこともなく、眉毛ごときでメイクとか言ってはダメかもしれないけど、こうして自分で眉毛を描いてみることで、気も引き締まるし、いまの男子がメイクする気持ちも理解できるし、清潔感を大事にするっていう気持ちも、よく理解できるようになりました。今までも否定をしていたわけではないけど、「より良い」と思えるようになりました。

だからいますごく思う。

オジサンだからこそ、堂々と眉毛を描こう。

100円ショップで眉毛を描くペンは買えるのだ。買って、練習しよう。

たった1本、2本の眉毛だけど、そこから見える景色と、何かがある。

「最近の若い世代は…」とか、バカにしちゃいけない。自分たちの価値観をアップデートしよう。

眉毛を描けば、きっと「いまの子たちってすごいんだな、素敵だな、見習わないと」と思えるだろう。

メイクや化粧って歴史的に見れば、はじまりは肌を守るためとか儀式のためとかだったのかもしれないけど、今日ではおしゃれと一緒で、それは相手へのリスペクトだったり、気に入っている服とか小物と同じような、着たり身につけたりすると、元気出たり、テンション高めてくれる、今日という日を戦いぬくためのコスチュームの1つなのかもしれない。

オジサンも眉毛を着よう。描こう。そして、新しい時代や価値観をリスペクトして、今日もまた一緒に戦いぬこう。

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